2011年04月26日
外国製お取扱機種について
先日、外国製カメラについて御問合せを頂きましたので、ここでお知らせします。
現在、外国製で当店で修理可能なのは、
ROLLEICORD
ROLLEIFLEX(一部機種)
その他二眼レフ
ROLLEI 35
M42マウントレンズ(Zeiss Jena製 など)
などです。
上記でも修理出来ないもの、上記以外でも修理可能なものがあります。
料金など、詳しくは画面上部ボタン「ホーム」よりHPに入って、メール・電話・FAXで御問合せ下さい。
現在、外国製で当店で修理可能なのは、
ROLLEICORD
ROLLEIFLEX(一部機種)
その他二眼レフ
ROLLEI 35
M42マウントレンズ(Zeiss Jena製 など)
などです。
上記でも修理出来ないもの、上記以外でも修理可能なものがあります。
料金など、詳しくは画面上部ボタン「ホーム」よりHPに入って、メール・電話・FAXで御問合せ下さい。
2011年04月23日
OLYMPUS PEN-F プリズム
OLYMPUS PEN-F用プリズムです。
ただいま、再蒸着品、御用意出来ます。
ちょっと高いですが、PEN-F修理をお考えの方、いかがでしょうか。
詳しくは御問合せ下さい。
上部ボタンよりホームページにどうぞ。
2011年04月19日
安原一式
本日のカメラ修理は、"あの"安原一式。
大変有名なカメラですが、私は現物を触るのは初めてです。
ファインダー部です。
下カバーを開けたところ。
非常にシンプルな構造です。
もとより、メカニズム的には特筆すべきものはありません。
が、シャッターはコパルで、撮影には問題ないので、Lマウント50mmのユーザーには使えるかもしれません。
製造精度の為でしょう。分解組立ての扱いがちょっと厄介なカメラでした。
大変有名なカメラですが、私は現物を触るのは初めてです。
ファインダー部です。
下カバーを開けたところ。
非常にシンプルな構造です。
もとより、メカニズム的には特筆すべきものはありません。
が、シャッターはコパルで、撮影には問題ないので、Lマウント50mmのユーザーには使えるかもしれません。
製造精度の為でしょう。分解組立ての扱いがちょっと厄介なカメラでした。
2011年04月16日
「記憶は書き換えられている」
それほど大袈裟な話ではありません。
先日の実家の整理で見つかりました。
キャノネットのフードです。昔からあったもののようです。
私が物心付いた頃、家にあったのはオリンパスのレンジファインダーでした。
だった?
あれ? まさかキャノン???
かすかな記憶の中に「OLYMPUS」のロゴがあるのに?
過去の記憶は、常に都合の良いように書き換えている、という説がありますが、
「Canon」が「OLYMPUS」に書き換わったのには、どんな都合があったのでしょうか。
自分のことながら、わかりません。
うちにあったカメラ、本当はなんだったのか、今となっては分からなくなってしまいました。
先日の実家の整理で見つかりました。
キャノネットのフードです。昔からあったもののようです。
私が物心付いた頃、家にあったのはオリンパスのレンジファインダーでした。
だった?
あれ? まさかキャノン???
かすかな記憶の中に「OLYMPUS」のロゴがあるのに?
過去の記憶は、常に都合の良いように書き換えている、という説がありますが、
「Canon」が「OLYMPUS」に書き換わったのには、どんな都合があったのでしょうか。
自分のことながら、わかりません。
うちにあったカメラ、本当はなんだったのか、今となっては分からなくなってしまいました。
2011年04月08日
めざすはライカ!
「めざすはライカ! ある技術者がたどる日本カメラの軌跡」
戦後間もなく、ミノルタの技術者となった著者が綴った一冊です。
「日本のカメラの誕生から黄金期のドキュメント」と言っていい内容でしょう。
書き手として心得のある人で、読み物として面白い本になっています。
タイトルが示すとおり、日本のカメラメーカーはライカ(M3)をひたすら目指し発展したのは誰もが言及するところですが、逆に言えば、M3に触れずに日本のカメラを語ることは出来ないということです。ここでもまた「日本の技術は模倣から」と見えますが。
しかし、カメラの世界では、M3を横目で見つつ、レンジファインダーとは大きく異なるメカニズムの一眼レフに活路を見出していきました。創成期は確かにライカ・コンタックスの模倣からはじまったのですが、「M3ショック」は模倣の発展とは少し異なった独自の道に日本のカメラをいやおう無く追い込み、そこからは日本の独自の道、一眼レフを基盤としたハイテクカメラの道、を歩んでいったのではないかと思います。それは日本オリジナリティを発揮できた数少ないもののひとつなのではないかと。一眼レフ全盛期からの日本製と外国製を比べれば、その事は一目瞭然ではないでしょうか。
と、カメラ贔屓からの考察でした。
私が買ったのはついこの間ですが、発行は2003年でした。
戦後間もなく、ミノルタの技術者となった著者が綴った一冊です。
「日本のカメラの誕生から黄金期のドキュメント」と言っていい内容でしょう。
書き手として心得のある人で、読み物として面白い本になっています。
タイトルが示すとおり、日本のカメラメーカーはライカ(M3)をひたすら目指し発展したのは誰もが言及するところですが、逆に言えば、M3に触れずに日本のカメラを語ることは出来ないということです。ここでもまた「日本の技術は模倣から」と見えますが。
しかし、カメラの世界では、M3を横目で見つつ、レンジファインダーとは大きく異なるメカニズムの一眼レフに活路を見出していきました。創成期は確かにライカ・コンタックスの模倣からはじまったのですが、「M3ショック」は模倣の発展とは少し異なった独自の道に日本のカメラをいやおう無く追い込み、そこからは日本の独自の道、一眼レフを基盤としたハイテクカメラの道、を歩んでいったのではないかと思います。それは日本オリジナリティを発揮できた数少ないもののひとつなのではないかと。一眼レフ全盛期からの日本製と外国製を比べれば、その事は一目瞭然ではないでしょうか。
と、カメラ贔屓からの考察でした。
私が買ったのはついこの間ですが、発行は2003年でした。
タグ :book
2011年04月04日
PETRI V6 Ⅱ
4月に入りまして当店も3周年を迎える事が出来ました。
御依頼頂きました御客様、ブログをご覧頂いている方々、本当に有難う御座います。
今後とも御客様に喜んで頂けるような仕事を出来るよう、心がけていきたいと思います。
さて今回の修理はPETRI V6 Ⅱ。1970年発売ということです。
前面シャッターボタンが特徴的です。
しかし、このカメラの最大の特徴はボディ下部に置かれたシャフト。これに付けられた偏芯カムなどによってタイミングをとりながらミラーやシャッターを動かしていきます。一眼レフにはあまり採用されていない構造ですが、この御依頼品もちゃんと動くようになったので、それほど悪いメカニズムでもなさそうです。
フィルムカウンターは巻き戻しレバー側にあります。ミラーに連動してカウントアップしていくので、シャッターを切ったタイミングで動きます。見ていると動きが新鮮な感じですが、撮影しているとカウントアップは見えなくて、つまりません。
基本的なシャッター機構やボディの組み合わせなどはPENTAX SPと似ているオーソドックスなものですが、ユニークさも目立つカメラです。
御依頼頂きました御客様、ブログをご覧頂いている方々、本当に有難う御座います。
今後とも御客様に喜んで頂けるような仕事を出来るよう、心がけていきたいと思います。
さて今回の修理はPETRI V6 Ⅱ。1970年発売ということです。
前面シャッターボタンが特徴的です。
しかし、このカメラの最大の特徴はボディ下部に置かれたシャフト。これに付けられた偏芯カムなどによってタイミングをとりながらミラーやシャッターを動かしていきます。一眼レフにはあまり採用されていない構造ですが、この御依頼品もちゃんと動くようになったので、それほど悪いメカニズムでもなさそうです。
フィルムカウンターは巻き戻しレバー側にあります。ミラーに連動してカウントアップしていくので、シャッターを切ったタイミングで動きます。見ていると動きが新鮮な感じですが、撮影しているとカウントアップは見えなくて、つまりません。
基本的なシャッター機構やボディの組み合わせなどはPENTAX SPと似ているオーソドックスなものですが、ユニークさも目立つカメラです。